「さっきまで元気だったのに、急にぐったりしている」「歯茎が真っ白になっている」。愛犬の突然の体調悪化に驚いて動物病院に駆け込むと、「脾臓血管肉腫が破裂して出血しています。緊急手術が必要です」と告げられる――。このような緊急事態に直面する飼い主さんは少なくありません。今回は、犬の脾臓血管肉腫について、緊急手術の判断基準や費用、予後について詳しく解説します。
脾臓血管肉腫とはどんな病気か
脾臓血管肉腫は、脾臓の血管から発生する悪性腫瘍です。犬の脾臓に発生する悪性腫瘍の50~80%を占めるとされており、脾臓腫瘍の中で最も遭遇することの多いがんです。
血管の内側の細胞ががん化したもので、血液の流れに沿って転移しやすく、進行が非常に早いという特徴があります。特に脾臓は血液を貯蔵する役割を持つ臓器であるため、腫瘍が発生しやすく、かつ破裂すると大量出血を起こしやすいのです。
好発犬種と年齢
血管肉腫は大型犬に多く見られ、発症年齢は平均9歳前後とされています。好発犬種としては以下が知られています。
- ゴールデン・レトリーバー
- ラブラドール・レトリーバー
- ジャーマン・シェパード
- ドーベルマン
- ボクサー
- その他の大型犬
また、オス犬の方がメス犬よりも発症率が高い傾向があります。
気づきにくい初期症状と突然の急変
脾臓血管肉腫の最も厄介な点は、初期段階ではほとんど症状が現れないことです。
初期は無症状
脾臓は腹部の奥深くに位置しているため、腫瘍があっても外から触れることはできません。初期の腫瘍は健康診断の超音波検査で偶然発見されることが多く、この段階で見つかった場合は非常に幸運なケースと言えます。
腫瘍が大きくなってくると、周囲の臓器(胃や消化管)を圧迫・刺激することで以下のような症状が現れることがあります。
- なんとなく元気がない
- 食欲が落ちる
- 嘔吐する
- お腹が張っている
しかし、これらの症状は特異的なものではなく、高齢犬では「年のせいかな」と見過ごされてしまうことも少なくありません。
破裂による緊急事態
脾臓血管肉腫で最も恐ろしいのが、腫瘍の破裂です。良性・悪性を問わず、脾臓の腫瘍が大きくなると破裂のリスクが高まります。破裂すると腹腔内に大量出血を起こし、以下のような症状が突然現れます。
- 急激な元気消失
- 呼びかけへの反応が薄い
- 起立できない、ふらつく
- 歯茎や舌などの粘膜が真っ白(重度の貧血)
- 呼吸が荒い、早い
- ぐったりして動けない(ショック状態)
このような症状が見られたら、一刻を争う緊急事態です。すぐに動物病院を受診する必要があります。
診断の流れと検査方法
動物病院では、以下の検査を組み合わせて診断を行います。
身体検査
まず全身状態を確認します。粘膜の色、お腹の張り具合、意識レベルなどをチェックし、緊急性を判断します。ショック状態であれば、詳しい検査よりも先に応急処置を優先します。
血液検査
貧血の有無、血小板数の減少を確認します。破裂して出血している場合、重度の貧血が認められます。また、出血を止める機能(凝固機能)も評価します。
画像検査
超音波検査やレントゲン検査で、脾臓の腫瘍の有無、大きさ、腹腔内出血の程度を確認します。超音波検査では、脾臓腫瘤の診断はほぼ100%可能とされていますが、良性か悪性かの判断まではできません。
重要な注意点として、脾臓の腫瘍に針を刺して細胞を採取する検査(細胞診)は通常行いません。脾臓は血液を貯蔵している臓器のため、針を刺すと大出血を引き起こす危険があるためです。
確定診断
良性か悪性か、どのタイプの腫瘍かという確定診断は、手術で摘出した組織を顕微鏡で調べる病理検査によって行われます。
緊急手術が必要な判断基準
脾臓腫瘍が見つかった場合、以下のような状況では緊急手術の適応となります。
緊急手術が必要なケース
-
腫瘍が破裂して腹腔内出血を起こしている場合
ショック状態や重度の貧血がある場合は、まず輸液療法でショック状態を改善しながら、できるだけ早く緊急手術を行います。出血が続く限り、命の危険が続くためです。 -
腫瘍が大きく、いつ破裂してもおかしくない状態
破裂のリスクが高い場合は、破裂する前に予防的に手術を行うことが推奨されます。 -
短期間で腫瘍が急速に大きくなっている場合
定期検査で腫瘍の増大が確認された場合、悪性の可能性が高く、早期の手術が勧められます。
手術を見合わせる場合
以下のような状況では、手術のリスクが高く、慎重な判断が必要です。
- 全身状態が極めて悪く、麻酔に耐えられない
- すでに広範囲に転移が確認されている
- 高齢で他の重篤な疾患を併発している
- 飼い主さんが手術を希望しない
これらの場合でも、出血を止めるための緊急処置や輸血などの支持療法は検討されます。
脾臓摘出手術の内容と手術時間
脾臓血管肉腫の治療は、脾臓全体を摘出する手術が第一選択となります。
手術の流れ
- 全身麻酔
- 開腹してお腹の中を確認
- 脾臓につながる血管を結紮(けっさつ)して止血
- 脾臓全体を腫瘍ごと摘出
- 腹腔内を洗浄し、他の臓器への転移がないか確認
- 閉腹
手術時間は腫瘍の大きさや癒着の程度によりますが、通常30分~1時間程度です。ただし、破裂して大量出血している場合や、周囲の臓器と強く癒着している場合は、より長時間かかることもあります。
脾臓を摘出しても大丈夫なのか
「脾臓は大事な臓器なのに、全部取ってしまって大丈夫なのか」と不安になる飼い主さんは多いですが、心配は不要です。
脾臓の主な機能は以下の3つです。
- 血液中の古い赤血球を壊す
- 病原菌と戦うための抗体を産生する
- 新しい血液を貯蔵する
これらの機能は、脾臓を摘出しても肝臓やその他のリンパ節が代わりに担ってくれるため、日常生活に支障はありません。術後に血小板数が一時的に上昇することがありますが、特に問題にはなりません。
輸血が必要になることも
破裂して重度の貧血を起こしている場合、手術中や術前に輸血が必要になることがあります。輸血用の血液が確保できるかどうかも、緊急手術の成否を左右する重要なポイントです。
手術費用の目安
脾臓摘出手術の費用は、動物病院や犬の体重、緊急度によって異なりますが、一般的な目安は以下の通りです。
基本的な手術費用
- 診察料・検査費用(血液検査、画像検査など): 2万~5万円
- 脾臓摘出手術費用: 10万~20万円
- 入院費用(3~7日程度): 2万~5万円
- 術後の内服薬: 5千~1万円
合計: 約15万~30万円
追加費用が発生するケース
緊急手術の場合、以下の追加費用が発生することがあります。
- 時間外診療料: 1万~3万円
- 輸血費用: 3万~10万円
- 術後の化学療法(抗がん剤治療): 1回2万~6万円×複数回
悪性と診断され、術後に化学療法を行う場合、治療期間全体では40万~60万円程度かかることもあります。
動物病院によっては分割払いやペット保険の対応も可能ですので、事前に確認しておくことをおすすめします。
術後の治療と予後
手術で摘出した組織の病理検査結果により、その後の治療方針が決まります。
良性腫瘍の場合
血腫や結節性過形成などの良性病変であれば、手術による完治が期待できます。予後は良好で、術後は定期的な検査で再発がないかを確認していきます。
悪性腫瘍(血管肉腫)の場合
残念ながら、脾臓血管肉腫の予後は非常に厳しいのが現実です。
脾臓摘出のみの場合:
- 平均生存期間: 1~3ヶ月
脾臓摘出+化学療法(抗がん剤治療)の場合:
- 平均生存期間: 5~9ヶ月
- 1年生存率: 約10%
化学療法では、ドキソルビシン(アドリアシン)やカルボプラチン、分子標的薬のトセラニブ(パラディア)などが使用されます。化学療法を行うことで生存期間の延長が期待できますが、副作用のリスクもあります。
ステージによる予後の違い
- ステージI(脾臓のみに腫瘍があり転移なし): 平均生存期間12ヶ月
- ステージII(脾臓が破裂して腹腔内出血あり): 平均生存期間6ヶ月
- ステージIII(他の臓器への転移あり): 予後は非常に不良
このデータからわかるように、破裂する前に発見して切除することが何よりも重要です。
飼い主さんとして大切にしたいこと
定期的な健康診断の重要性
脾臓血管肉腫は初期症状がほとんどないため、定期的な健康診断で腹部の超音波検査を受けることが早期発見につながります。特に8歳以上のシニア犬、大型犬では年に1~2回の超音波検査をおすすめします。
緊急時の判断
突然の体調悪化が見られたら、迷わず動物病院を受診してください。特に以下のような症状は緊急事態のサインです。
- 歯茎が真っ白
- ぐったりして反応が鈍い
- 呼吸が荒く、苦しそう
- お腹が膨らんでいる
夜間や休日の場合は、救急対応している動物病院を事前に調べておくと安心です。
治療の選択について
手術をするかどうか、術後に化学療法を行うかどうかは、愛犬の年齢、全身状態、飼い主さんの考え方によって異なります。
「できる限りの治療を受けさせたい」と考える方もいれば、「副作用で苦しむよりも、残された時間を穏やかに過ごさせたい」と考える方もいます。どちらの選択も間違いではありません。
大切なのは、獣医師から十分な説明を受け、メリットとデメリットを理解した上で、ご家族が納得できる選択をすることです。
まとめ
脾臓血管肉腫は予後の厳しい病気ですが、破裂する前に発見できれば、手術によって一定期間の延命が可能です。また、緊急手術が必要な状況でも、迅速な対応により命を救うことができます。
定期的な健康診断を受け、愛犬の小さな変化を見逃さないこと、そして緊急時には迷わず動物病院を受診することが、愛犬の命を守ることにつながります。
当院では、腫瘍科診療に力を入れており、脾臓血管肉腫をはじめとするさまざまながんの診断・治療に対応しています。緊急手術が必要な場合も、できる限り迅速に対応いたします。
もし愛犬の体調に不安を感じたら、どんな些細なことでもご相談ください。一緒に愛犬の健康を守っていきましょう。
